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ふと、職場で感じる「なぜ」や戸惑いを、スッキリさせるブログです

【第1回】ふと、あくせく働くことに疑問を感じたら

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1「労働」の源流へ

 首都圏では、日々、数え切れない多くの方々が、通勤電車やバスを
乗り継いで出勤し、せわしなく働いています。

 働く業界や職種、組織内の地位も、それぞれ異なっているにも
かかわらず、一日の大半をあわただしく働き、
生気のない帰りの通勤電車では、同じ通勤客として、
窓越しの見慣れた夜景をぼーっと眺めたり、
さっきまでの仕事を忘れ去るかのように、
スマートフォンのゲームに興じている姿を目にします。

 こうした日常を何千回と繰り返す社会人にとって、いや、
社会人の初舞台を踏んでいない学生諸氏にとっても、これほどまでに、
あくせく働くことに疑問を感じる瞬間があるのではないでしょうか。

 この「あくせく働く」に見合った漢字としては、
「労働」の熟語がしっくりきますので、今般は初出として、
「労働」について思いをめぐらしてみたいと思います。

 

2「労」と「働」の成り立ち

「労」の生い立ち

 ここで、「労働」の熟語を、「労」+「働」として、
単体ごとに考えてみましょう。

 まず、「労」の語源を辿ってみますと、最初の3つの画数までは
「炎」を表し、全体として、「炎のように力を出し尽くす」
という意味になります。

 もう少し映像化してみますと、
松明(たいまつ)の炎に取り囲まれながら、夜通し、
 力を出し尽くす様子
」、
甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず使役されている様子
がイメージできるでしょう。

「働」の生い立ち

 一方、「働」の語源は、なんと国字です。

 現代においても、中国語としての漢字「動」は、「人間の活動や働き」
を意味しますが、日本語としての漢字では、あえて
「にんべん」を「動」に付け加えて、国字としました。

 実は、「にんべん」には、立派な人物という意味合いがあり、
例えば、立派な人物(にんべん)がおっしゃったこと(言)は、
「信」ずるに値する、という案配です。

 ですから、日本語としての漢字「働」を映像化してみますと、
徳のある人物(にんべん)が、世のため人のために役立つ諸活動(動)
 を行う様子

がイメージできるでしょう。

 いにしえの日本人は、遣隋使や遣唐使などを通じて、
膨大な漢字体系を学び、何万字とある漢字の一つひとつの意味、
音読み(支那の発音)を修得したほか、その語源まで調べ尽くしました。
 その身命をなげうつ偉業のお蔭で、
中国語としての漢字一つひとつに適した訓読み(和語の意味)を
当てはめることを成し遂げました。

 さらに、漢字の部首の持つ意義を組み合わせて、
国字までも創造したわけです。

 

3「労」の再発見 

  このように、「労」と「働」の大本に遡ってみると、
日本人の「労働」への実感は、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている様子」(労)
よりも、
「世のため人のために役立つような諸活動(動)を行う様子」(働)
に親近感を抱くように、一見見受けられます。

 ところが、この「労」にも、
私たちの先達(せんだち)の知恵が隠されていたことは、
さっぱり知られていません。

 実は、「労」の訓読みには、
「労(ねぎら)う」 と 「労(いたわ)る」の2つがありますが、
講演会などでお尋ねしても、そもそも読めない中高年の方が大半でした。
 ひょっとして、見慣れない語句として風化しているのかも知れません。 

 労(ねぎら)い

 「ねぎらう」も「いたわる」も、
「苦役や頑張りを慰め、感謝する」という共通の語意がありますが、
どちらかと言うと、
労(ねぎら)う」は、次の例のように、
全身全霊を傾けて奮闘した者に対する、感謝や褒め称える気持ち
を表しています。

「専務!35度の炎天下の中、中古車の売上げ№1を達成した
 遠藤君に対し、何か一言、労いのお言葉を頂戴したいと存じます。」

 「労」との関わりでは、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている」者に対し、
「最後まで諦(あきら)めず、ひたむきにやり遂げました、
 お見事です。」
という周囲の感謝や褒め称える気持ちを、訓読みとして与えたことに
なります。

労(いたわ)り

 また、「労(いたわ)る」は、次の例のように、
傷病者や幼子に対する、同情や大事に扱う気持ちを表しています。

「年末には、東北の湯治場に出かけて、弱り切った体を労ることにした。」

 「労」との関わりでは、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている」者に対し、
「怪我の具合はどうですか、もう少し休養を取りましょう。」
という周囲の同情や大事に扱う気持ちを、訓読みとして与えたことに
なります。

 私たちは、知らず知らずのうちに、
漢字「労」の中に、苦役や酷使を受ける者の周囲にいる人物の心情を、
すなわち、感謝や褒め称える気持ち、同情や大事に扱う気持ちを、
訓読みとして受け継いできました。

 こうした主体が入れ替わった心情は、
本来の中国語としての漢字には見当たらないようで、
私たちの先達(せんだち)の知恵が、訓読みという仕組みの中に、
ひっそりと秘められてきたのです。

 

4 あなたの知らない、「労働」の扉

  ここまで「労働」の源流を遡ってみると、
その字義(説文)と訓読みの在り方から、
2つ意義を見出すことができました。

 一つは、
徳のある人物(にんべん)が、世のため人のために役立つような
 諸活動(動)を行う様子

を表していることです。

 もう一つは、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている」者
に対する、周囲の感謝や褒め称える気持ち、同情や大事に扱う気持ち
を表していることです。

 ふと、あくせく働くことに疑問を感じたら、
こうした先達の思いを胸に秘めて、
あなたの知らない、「労働」の扉を共に開けましょう。

以上